安政2年から続くお酒の伝道師 秋田屋!
165年の歴史と現在について新たに10代目に就任した浅野氏に迫った!
― こんにちは、こんな歴史の長い会社様のインタビューなんて光栄です。
今日はぜひ色々と教えてください!
秋田屋さんとは何をしている会社ですか?
― 浅野社長
秋田屋は酒類や食品の卸売が主な事業です。
日本の厳選した酒類や食品をはじめ、世界のワインや洋酒なども有名デパートやスーパー、酒類専門店、ドラックストアなどに卸しています。
うちならではのルートで品質や希少性にこだわり、他社にはない商品を集めるようにしていますね。
他には小売、輸出、飲食など、メインとなる事業に付随するビジネスを多角的におこなっています。
売上はグループ全体で約250億円前後で現在の秋田屋グループ全体のシェアは卸売と小売でおおよそ8:2の割合になっていますね。
― お酒で250億円はすごいですね!
いえいえ大手様に比べたら全然大したことないですよ!
― 創業エピソードをいただけますか?
創業は1855年(安政2年)に名古屋城城下町の伊勢町というところで6代目の浅野儀助が日本酒の量り売りをしたところから始まりました。
本当の創業年に関しては、安政2年よりも前の壺がいくつも見つかっているのでもっと古いと思うんですが、安政元年の安政大地震という大きな震災被害で一度めちゃくちゃに潰れています。
その後、立て直しをした安政2年を創業としているのですが、本来はもっともっと前でしょうね。
その後、会社として法人化をしたのが大正15年です。
そこから数えて現在は95期目に入りました。
創業から165年、法人化から95年です。
― 本当に歴史ある会社ですね!
安政って教科書に出てきた記憶しかないです…
酒の量り売りから法人化してこうして長い年月を経過するなんて、老舗企業の歴史っていうのは感慨深いものがあります。
当時は他に事業とかされてなかったのですか?お酒を自社で作っちゃうとか??
大正から昭和初期までは酒造りもしていたんですよ…
東海地域を中心にお酒を提供していましたよ。
例えば熱田神宮の御神酒は昔から秋田屋が入れていたのですが、
残念ながら戦時中に蔵が燃えてしまって…
それを機に酒造りはやめてしまいました。
熱田神宮へは最終的に付き合いのある広島県の蔵元さんに権利を譲り、蔵元さんが造ったお酒を秋田屋のPB(プライベートブランド)として今も奉納しています。
だから熱田神宮のお酒は実は広島県のお酒なんです…
― そうなんですね(それは意外です…)
この期間ですと戦争も経験しているんですよね…
正直当時の経営者の方々はすごいですね。
その後、1917年に広島の賀茂鶴さんとの取引をさせてもらって一緒に拡大することができました。
賀茂鶴さんとはもう100年以上の取引で賀茂鶴さんのお酒を広げるお手伝いをしています。
― いいですね、共に歩むって素敵ですね。
秋田屋さんがこんなに長い間生き残れた理由とかありますか?
結構お酒の卸し会社は淘汰されていったイメージなんですが…
そうですね、まずは生き残れた理由として全国の酒・酒蔵と深い付き合いをさせて頂いてる所ですかね。
全国の少量品種を独自のノウハウで全国に流行らせることができたのが非常に大きいと思います。
全国には本当に少量しか取れないけど美味しい酒蔵があったりします。
ただ、少量だと大きな商売にはならないので大手はメリットを感じないんですよね。
私たちはそんな酒蔵と深く深くお取引させて頂いて、良いものを世に送りだしています。
そこが差別化の一つですね。
― でもそこって本当に大切ですよね!
日本の少量品種ってだれかが広めないと本当に世にでないですから…
大小かかわらず、そういう深い関係構築をされてるのは素晴らしいです。
あとは特約店制度(エリア制度)ができて、秋田屋が名古屋エリアの特約店に選ばれているのも大きいと思います。
東海では本当に多くのお客様と取引をさせてもらってますから…
― 東海のエリアは主にどこにいれているんですか?
今は愛知・岐阜・三重・静岡です。
― 他県に渡って色々と競合他社もいて大変じゃないですか?
それぞれに競合他社もいますが、うちは本当にコアな商品を取り揃えているのと少量品種を取り扱えるネットワークや取引方法に工夫をしているので、価格以外の部分で勝負しています!
物流機能の工夫としては、物流や取引方法は酒屋にとって肝なので、いかに酒屋さんに負担をかけないようにするかを考えています。
特に物流センターごと提供している場合もあるので、うちとお付き合い頂く酒屋さんは在庫を持たないで物流センターに預けられるので、リスクも最小限になるんですよ!
― えっ、酒屋さんにそんなところまで…素敵です。
おそらく当時そんな提案を受けた酒屋さんにとっては救世主でしょうね…
酒屋さんは在庫も土地も持たなくてもいいですし、リスク削減になるのでお互いWin-Winになりますよね。
こういった部分が秋田屋の強みです。
― あとは社内的な体制とか理念とか制度とかで強みってあるんですか?
社訓とかも老舗企業はあるところが多いですよね?
そうですね、これがあるから存続できたかどうかはわかりませんが、秋田屋には50年近くある社訓で「集(しゅう)、拂(ふつ)、分(ぶん)」という社訓があります。
これには「いろいろな英知を集めて、経営戦略を実行し、蓄積されたものを後世に残そう」という意味があるんですよね!
― おおお、やっぱりあるんですね!素晴らしい意味です。
伊藤忠の守・破・離みたいですね!
そうなんです!
そして実はこれ裏の意味もあるんです。
― えっ
裏の意味は「売掛金をしっかり集め、買掛金はしっかり払い、利益は地域や社員に分けよう」という意味らしいです。
― すごいですね!なんか昔ながらの意味っぽいですが、すごく奥深さを感じますね!両方すごくいい意味でかっこいいです!
今ではどっちが表の意味かわからないですけどね。
あとは先代や歴代の社長の教えとして「身の丈にあった経営をしろ」と言われてきたらしいので、背伸びせずに堅実な経営をしていたから今があるんじゃないですかね!
― そうですか~本当に勉強になります!身の丈経営は大事ですね!
色々と創業エピソードありがとうございました。
次は浅野社長について教えて頂いてもいいですか?
いいですよ!特にアピールするとこなんてないですけど。
― いえいえそんなことないですよ!
浅野社長の生い立ちから今までのことを聞きたいです。
高校時代は名古屋にいて、サッカー部で頑張ってました!
大学で都内にきて、家庭教師のアルバイトとか、その本部で働いてましたね。
普通の学生です…
― 失礼ですが、大学はどちらだったんですか?
大したことないですよ!
元々、実家が古風な家柄だったこともあり、あらかじめ目指す大学も決められてたんですよ!
― それでどちらですか??
慶應大学です…
― それ全然すごいじゃないですか!!それを予め目指すってすごいですね。
まあ、祖父も父も慶應なんで自然とそんな流れに…
― スーパー一家ですね!
いえいえ…
― 大学時代からもう秋田屋で働くと思っていたんですか?
そうですね。
大学時代に一度、先代と2人で飲みに行く機会があって、「これからどうするんだ?」という話になり、「いろいろやりたいこともあるのかもしれないけど、秋田屋のこともあるから、よく考えておけ」と言われ…
自分としては家業のことは昔から知っていましたし、いつか自分がやるんだっていう意識はしていましたね!
― それはすごいですね!
普通は親に反抗するじゃないですけど、親のレールに乗りたくないとかありそうじゃないですか…!
ん~そういうのはなかったですね!
大学からなんとなく社長を意識していましたし。
― 本当にすごい息子さんですね!
いえいえ全然ですよ!
それから「大学は好きなようにしていいから、就職は一回大きな会社に就職して、そこの社員たちと同じ釡の飯を食べてこい」って言われたんで、2003年4月にキリンビールに入社しました。
― キリンビール大手ですね~ さすが酒関係会社の息子ですね…
そんなことないですよ!
キリンビールでは半年間の研修を経て、東京で営業として飲食店や商店街を回っていました。
― キリンビールは就職してよかったですか?
そこは本当によかったですね!
いろいろな経験をさせてもらいました!
あの期間に大きな会社で働いたのは本当にでかかったです!
― 具体的にどんなところがですか?
飛び込み型の営業スタイルだったので、全く相手にされなかったり、渡した名刺を投げ捨てられるなど、いろいろなことがありました。
当時はキリンはアサヒにやられっぱなしで特に営業が厳しかったです!
ただ、こういった経験が非常に良い勉強になったと今でも実感しています。
本当に昔ながらのサラリーマンを経験できたことが一番よかったですね。
― そんなことがあったんですね!昔は今と違って様々なところがブラックでしたから、そういう厳しさや組織のルールみたいなところも経験できてよかったんでしょうね!
それからどのくらいで秋田屋に転職したんですか?
2006年の4月です!
最初は管理・総務系人事に配属されました。
― 戻ってよし継ぐぞって感じじゃななかったんですね?
継ぐことに関しては戻った時から覚悟は決まっていましたよ!
ただ、20代中盤ではまだまだ経験が何もないのでまずは勉強と思っていました!
― それは良い家系ですね!身内に甘いのはよくありますが、そういう会社じゃないのはいいですね!
20代はどんな風に過ごしていたんですか?
様々なセミナーに参加して、経営や数字に関する勉強をさせてもらいましたね。
2年目からは先代の考えのもと、現地視察ということで1人で海外にも行きました。
― えっ、どちらへ行かれたんですか?
スコットランドに2ヶ月、フランスに1ヶ月滞在し、蒸留所やワイナリーを回るなど、今ではなかなかできない貴重な体験をしましたね。
ヨーロッパのお酒を実際に見にいって体験できたのもすごく貴重でした!
とにかく20代はインプットをする機会が本当に多かったですよ。
― 蒸留所とか本当に羨ましいです(僕、ウイスキー大好きなんで…)
本場ですもんね!
20代のインプットは本当に大事ですよね!
ちなみに30代はどんな人生だったんですか?
30代の10年間は、本業をやりながらJC(青年会議所)に所属しました。
― おおおJCですね !忙しいと有名な…
JCはどんな場所なんですか?
昔ながらの伝統、例えば礼儀や姿勢を重んじる組織で、会社で叱られることはなかったけど、JCだと叱られることもありました。
スピード感の速い組織だったので、自分の限界の底上げになりましたね。
現在も所属していますが、ここでも本当に良い勉強をさせていただいています。
あとは自分と同じような境遇の経営者もたくさんいますし、
先輩経営者もたくさんいて…人脈も本当に広がりましたね!
― いいですね!叱ってくれる環境って!
20代でインプットして30代で人脈作るなんて理想ですね!自社ではどんなことに取り組んだんですか?
そうですね~30代を迎えた時に会社の仕組みや制度・在り方に対して、このまま変化しない体制はよくないなと考え始め、給料体系や評価システムを社労士さんと相談して変化させましたね!
若い子たちの頑張りもしっかり給与に反映されたり、ステップアップできるような仕組みづくりを構築しました。
採用手法に関しても古いやり方を一新して、いかに魅力的に見せるか、いかにマッチした人材を採用できるかに関して注力をしましたね。
― それは素晴らしいですね!
やはり人が一番重要ですから、以前の体制や制度を変えることは本当に大変だけど大事なことですね!
なんだか本当にドラマチックな人生で羨ましいです!
― 最後に未来について教えていただけますか?
今後やっていきたいことや広めていきたいことなどあればお願いします。
まずは経営理念にもありますが、我々はお酒の伝道師として、商品を提供するだけでなく、新しい酒文化を創造していきたいですね!
新たなお酒のライフスタイルを全国に伝えていきたいです!
今後やっていきたいことは、お酒は一生あり続けます!そこは変わらないことですよね!
ただ、時と共に様々な手段が変わると考えています。
売り方や売れる場所、アピールの方法は時代の流れに沿って変わっていくので我々も時代に合わせてうまく変化していくことも大切だと思います。
もちろん、今のお客様を大切にしつつというのを大前提にいろいろなことに取り組んでいきたいです。
また、今後はお酒を中心としてシナジーが発揮できる部分(特に消費者に近いところ)でチャンスがあれば新しいことにもどんどん挑戦をしてみたいですね!
― おお、最後なんかすごく深い話ありがとうございます!
お酒の伝道師って言葉が最高ですね!
お酒を中心に文化を創造するってなんかとてもかっこいいです!
ぜひ今後日本に新しい酒文化を広めてくださいませ!
最後に社長としてやらなくてはならないことはなんだと思いますか?
ありがとうございます!大変恐縮です!
社長としてやらなくてはいけないこと…なんでしょうね…その先にどう引き継ぐかってことが大事ですね!
自分も30年後には誰かに引き継いでいくわけですから!
「この30年をどう磨いていくのか?」それを大切にしていきたいですね!
― どう磨いていくのか!素晴らしいですね!
今後の秋田屋さん本当に楽しみです!
今日は本当に貴重な話ありがとうございました!
ありがとうございました!
浅野弘義
株式会社秋田屋 代表取締役 社長
キリンビールでの営業経験を経て、2020年10月、秋田屋の代表取締役 社長に就任。
社内の採用や評価システムの見直しなどの制度、体制の変更に注力。
「お酒の伝道師」として、酒文化の新たなライフスタイルを伝えるために、時代に合わせた方法や取り組みに尽力している。
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