日本には多くのホテルがありますが、その中でも「アパホテル」の認知度は群を抜いて高いです。
多くの人から愛されているアパホテルですが、経営をしているのは有名な女性社長の元谷芙美子さんになります。
本記事では女性社長として圧倒的な成功を収めたアパホテルの社長「元谷芙美子」について徹底解説しました。
アパホテルの経営エピソードや名言を記載しているので、起業を考えている方は非常に参考になるでしょう。
興味がある方は最後までご覧下さい。
まずは元谷芙美子さんについて簡単に解説していきます。
これから紹介するポイントは元谷芙美子さんの人生において重要なポイントとなります。
元々は大学に進学して小学校の教師を目指していた元谷芙美子さんですが、家庭の都合で高校卒業後に就職することを決めました。
いくつかの業界で悩んでいたようですが、最終的には金融業界に進むことを決意します。
結局、福井信用金庫へ入社した元谷芙美子さんは、職場で将来の旦那さんである元谷外志雄さんと出会いました。
2人は出会ってから交際を続けて、1970年に結婚することになります。
今の時代とは違い、1970年は銀行で働いているサラリーマンは花形で、安定して高収入を期待できる職業として非常に人気でした。
しかしながら、旦那である元谷外志雄さんは銀行マンを辞めて起業することを決意します。
そして結婚してから1年後の1971年に「信用開発株式会社」という会社を設立しました。
元谷芙美子さんも一緒に会社を切り盛りするべく、取締役として参画します。
この選択が、これからの元谷芙美子さんの人生を大きく変えることになりました。
日本には多くのホテルがあって、名前を覚えられているホテルは極一部です。
「帝国ホテル」や「リッツ・カールトン」などの高級なホテルは、誰もが一度は利用したい夢のホテルとして認知度があります。
しかしながら、1970年代は手軽に誰でも利用できるホテルの名前を言える人は全く存在しませんでした。
アパホテルは決して高級で多くの人が利用するのに憧れるホテルではなく、お客様から認知を得る為には何かしらの差別化を作らなければいけませんでした。
そこで社長は自分を広告塔とする為に、服装や発言などを少しずつ変えていきます。
そして、エレガントな帽子を被って社長アピールをするという強烈なキャラクターが完成しました。
社長が少し変わっているということで、認知度を広げることに成功します。
もちろん認知度と同時にアンチの人も増えていきました。
しかしながらアンチが増えているということは認知度が広がっていることだと理解して、今でも同じキャラクターとして活動しています。
元谷芙美子さんは経営の危機に直面したことが何度もあったようですが、全てをポジティブに捉えて、何事も事業の拡大に繋がるように考えているようです。
会社の危機的な状況でもポジティブに考える人柄は、多くの従業員や取引先から良い評判を得ています。
全てをポジティブに考える強靭なメンタルを持っている元谷芙美子さんは、これから先に何が起きても自分を持って経営をすることができるでしょう。
高校卒業後に就職した元谷芙美子さんですが、社会人になってから大学に入学して勉学に励みました。
授業中に秘書に板書を頼むなどで少し問題になりましたが、社会人になっても勉強して大学に進学するのは非常に覚悟がいることでしょう。
勉強熱心な性格は、経営でも活かせていると言えますね。
それでは、アパホテルの経営エピソードを紹介していきます。
時代の流れに沿って事業を展開する企業は多いですが、将来を読んで先に布石を打てる企業は少ないです。
しかしながら、アパホテルは時代の流れを先取りして、先行者優位による認知拡大に成功しました。
特に印象的なのは、インターネットが発達していない時代にネットからホテルの予約ができる「予約機能」の流行を先取りして、先にシステムの開発を行っていた点です。
この読みは見事に的中して、ホテル業界の中で圧倒的に早くインターネットでホテルの予約ができるシステムを導入することができました。
アパホテルは多くの利益を生み出している企業で、社長の元谷芙美子さんは多くの収入を得ていると予測できます。
自宅は非常に豪華で有名な元谷芙美子さんですが、利益の多くは株や事業に投資しているようです。
自分の娯楽より事業を大きく展開することを目的にお金を使うので、毎年のように利益を上げ続けています。
会社が大きくなることで従業員のモチベーションも保てる為、良いお金の使い方と言えるでしょう。
多くの人から愛されている元谷芙美子さんですが、2007年の耐震偽装問題がきっかけで多くのバッシングを受けることになります。
耐震偽装問題はアパホテル側の不手際ではないと言われていますが、連日のニュースによって国民の多くが嫌悪感を示していたのは明白です。
国で定められた耐震基準の7割程度しか耐震性が無かったので、大きな地震が発生して建物が崩壊していたら、さらに炎上して大問題になっていたでしょう。
この件はアパホテルの経営の中で、最も大きなミスであると言っても過言ではありません。
元谷芙美子さんも、トレードマークの帽子を外して謝罪をしていました。
リーマンショックによって土地の価格が安くなったタイミングで、アパホテルは多くの土地を購入しました。
たくさんの土地を購入してもお客さんの経済状態が厳しく、利用しないのではないかという声も上がっていましたが、この作戦は見事に成功します。
土地を安く購入して、リーマンショックの間にホテルを増やしていきました。
そして、リーマンショックが終わると、多くのお客様がアパホテルに足を運びます。
土地を安く購入して、お客さんが戻ってくるタイミングまでにホテルを増設するアパホテルの作戦は見事に的中したと言えるでしょう。
アパグループは、アパホテル以外の事業展開も目指しているようです。
・ホテル事業
・リゾート事業
・マンション事業
・マンション賃貸事業
・出版事業
・マンションビル管理事業
2021年の2月3日時点では、ホームページに上記6つの事業が紹介されています。
ホテル以外の事業も有名になれば、さらに大きな利益を作ることができるでしょう。コロナによってホテル業界は大きな打撃を受けているので、他事業の拡大は必須です。
それでは、元谷芙美子さんが残した名言を紹介していきます。
様々な名言を残されていますが、特に経営に関わる名言を紹介していくので、興味がある人はご覧下さい。
ビジネスにおいてスピードは最も大切であると、元谷芙美子さんは考えているようです。
実際にアパホテルの経営でも、スピードを意識した事業展開を行っています。
例えば、リーマンショックの際に一気に土地を買い上げたのは、スピードを意識して事業展開に成功した事例と言えるでしょう。
これから起業を考えている人も、ビジネスはスピードを意識して事業展開することをおすすめします。
アパホテルも順風満帆に経営で成長した訳ではなく、様々な逆境があったようです。
しかしながら、元谷芙美子さんは逆境と考えないで、何が起きても成長を目指しています。
実際に耐震偽装で会社は危機的状況に陥りましたが、逆境ではなくチャンスと捉えて、今まで以上に耐震に関して意識をしたようです。
経営状態が悪化する一大事件でしたが、すぐに経営状態は回復して、現在では多くの人が利用するホテルになりました。
ホテルは日本に無数に存在するので、差別化を図る為に、元谷芙美子さんは自分の殻を破って広告塔になる決心をしました。
今ではアパホテルと聞いたら社長を思い浮かぶ人も少なくないでしょう。
見た目とはギャップのある奇抜なファッションは、多くの人に強烈な印象を残す広告塔へと成長しました。
自分の殻を破ってアパホテルの経営に上手くマッチした良い事例と言えるでしょう。
元谷芙美子さんはお金を私欲に使うことがなく、ほとんど事業や株式に投資しています。
投資をする努力を怠らないことで、毎年のように利益を増やし続けることができました。
これから起業をする人は、利益を投資に使うことで、事業を大きく展開できる可能性が高くなります。
最後にコロナ禍によるアパホテルの生存・経営戦略を解説していきます。
コロナウイルスの影響により、海外から旅行客を見込むことができず、国内で旅行する人すら少ないです。
それだけでなく、GOTOキャンペーンで少し良いホテルに泊まる人が急増したことにより、アパホテルのような格安ホテルは需要が下がりました。
これから生き残るには、ホテル以外の事業で成功しなければ難しいでしょう。
リゾート事業もコロナと相性が悪いですが、マンション事業は期待ができます。
コロナのタイミングで投資の重要性を理解した人も多く、不動産投資は注目されている投資の一つです。
コロナ禍で生き残るには、マンション事業の成長は必須になるでしょう。
この記事では、アパホテルの社長である元谷芙美子さんの生い立ちや名言、アパホテルでの経営エピソードを紹介しました。
これから起業を考えている人の為になる内容も多かったでしょう。
様々な経営に関する情報が組み込まれていますが、特に「ビジネスで大事なことは、スピード。」という名言を忘れないで頂きたいです。
時代の流れは非常に早く、スピードが遅ければ取り残されていきます。
会社を成長させる為に、スピードを意識して経営している元谷芙美子さんの戦略を真似していきましょう。