日本のタクシー業界の中でも、最大手企業と言われている日本交通株式会社の社長である川鍋一朗。
非常に輝かしい経歴を持っている川鍋一朗ですが、かなり厳しい状態になったことも合ったようです。
そこで本記事では、日本交通株式会社代表の川鍋一朗の経歴や経営戦略、名言などについて徹底解説しました。
日本交通株式会社代表について知れるだけでなく、経営の勉強にもなるはずなので、興味がある人は是非最後までご覧下さい。
日本交通会社とは、東京に本社を置くタクシー業界で最大の売上高を誇る大企業で、ハイヤーの事業も展開しています。
以前は観光バスの事業も行っていましたが、2005年に売却されているようです。
現在はITも使って事業拡大を狙っているようですが、数年前までは1900億円の負債を抱えていて、倒産や売却などの噂も出るほど経営状態が悪化している状態でした。
しかしながら、本記事で紹介する川鍋一朗の経営戦略によって、徐々に経営状態が回復して、現在は全国に事業所がある大企業へ成長しています。
それでは、川鍋一朗について詳しく解説していくので、是非ご覧下さい。
まずは川鍋一朗の経歴を3つに分けてまとめていきます。
誰もが憧れる非常に輝かしい経歴なので、是非ご覧下さい。
川鍋一朗は、大学は幼稚舎から通っていた慶應義塾大学の経済学部を卒業しました。
そこから留学をして、ノースウェンスタン大学ケロッグ経営大学院に入学をします。
ノースウェンスタン大学ケロッグ経営大学院では経営について深く学び、MBAを取得して卒業しました。
日本でトップの私立大学である慶應義塾大学を卒業して、留学でMBAを取得した川鍋一朗は、帰国後にマッキンゼーに就職します。
マッキンゼーとは大手の外資系コンサルティング会社で、就職の難易度が非常に高い企業になります。
年収は従業員によっては2000万円を稼げる場合もあるので、非常に良い企業に就職できたと言えるでしょう。
しかしながら、川鍋一朗はマッキンゼーを辞めて1900億円の負債を持っている家業の日本交通株式会社に入社することになりました。
川鍋一朗は家業の日本交通株式会社に入社しましたが、当時の会社は負債が1900億円に膨れ上がっているにも拘らず、従業員同士の反発もあり経営状態が非常に不安定でした。
そこで川鍋一朗は会員制ミニバン・ハイヤーの新規事業を立ち上げて勝負を仕掛けます。
事業内容も良く普通に行けば成功すると言われていましたが、従業員に対して横暴なマネジメントをしてしまって、予定通りに新規事業が上手くいかないで大きな赤字を出しました。
従業員のマネジメントと新規事業に失敗して川鍋一朗は多くの批判を浴びましたが、そこで意識を大きく変えたことによって、従業員との雰囲気を変えていきます。
しかしながら、会社の雰囲気が徐々に良くなってきたタイミングで、投資を受けていたメインバンクから再建計画の提示を受けました。再建計画は、川鍋一朗などの経営陣を撤退させて、メインバンクが中心となって再建を目指すという内容だったようです。
もちろん当時の経営陣は反発しましたが、メインバンクの条件を受け入れなければ、投資が終了して倒産や売却をしなければいけない状態でした。
しかしながら、川鍋一朗はメインバンクの条件を受け入れないで、様々な経営戦略を行なって事業を立て直すことになります。
それでは、川鍋一朗が倒産寸前の日本交通株式会社の経営状態を改善させた経営戦略を紹介していきます。
それでは、川鍋一朗が行った経営戦略を4つに厳選して解説していきます。
これから紹介する4つの経営戦略は、日本交通株式会社の経営状態を大きく変えた施策なので、ぜひ参考にしてご覧下さい。
川鍋一朗が最初に行った経営戦略は、コストの大幅削減です。
当時の日本交通会社の経営状況では新規事業を立ち上げるのが難しく、投資を行うこともできませんでした。
そこでコストを大幅に削減することによって、出費を抑えるという経営戦略を取ったようです。
具体的には、多くの従業員をリストラして人件費を大きく削減したことで、子会社は30社から10社に減ることになりました。
このように、最初はコストを大きく削減して資金繰りを安定させて、浮いた予算から売上を作っていくために投資を行っていきます。
川鍋一朗は、2005年に導入したデジタルGPS無線システムの技術を応用して、スマホから簡単にタクシーを手配できる「日本交通タクシー配車」の開発に成功しました。
顧客がタクシーを利用する際の最大の欠点は、絶対にタクシーを捕まえられるという保証がない点です。
どれだけ道で待っていても、タクシーを捕まえられる保証がないので、道で何時間も待つという経験をした人も多かったようです。
しかしながら、「日本交通タクシー配車」のアプリが開発されたことで、確実にタクシーを捕まえることができるようになりました。
「日本交通タクシー配車」が開発されたことで、アプリを利用してタクシーを利用することが増えて大きな収益に繋がるようになったようです。
タクシー業界の問題点を解決するアプリを開発したのは、川鍋一朗が成功した経営戦略になります。
日本交通株式会社は、都内に「日本交通専用乗り場」というサービスを始めました。
「日本交通専用乗り場」というサービスは、用意されている専用タクシー乗り場で、追加料金が一切不要で係員が荷物積みや乗り込みサポートを受けることができます。
川鍋一朗は年配の人が無理なくタクシーを利用できる環境を作りたいと思ったことで、「日本交通専用乗り場」のサービスを開始しました。
実際に老人が利用するようになっただけでなく、このようなサービスを行っているということが社会貢献として評価されるようになったようです。
日本交通株式会社は事業の海外進出を狙っていましたが、国内で事業規模を拡大させることができなかったので、ドライブレコーダーが導入されました。
いきなり海外に進出すると国内の事業が歯止めになるだけでなく、莫大なコストが発生するので、ドライブレコーダーを海外展開して利益を作ろうと考えたようです。
ドライブレコーダーを日本で利用して情報や実績を集めた段階で海外進出した結果、見事に成功して大きな利益を作ることができました。
この結果、ドライブレコーダーだけでなく他のタクシー事業も徐々に海外進出することに成功します。日本交通株式会社が海外進出したきっかけとなる大きな出来事だったようです。
それでは、川鍋一朗が経営を行っていく上で残した名言を複数紹介していきます。
インタービューや自叙伝に掲載されている名言で、経営にも役立つはずなので是非最後までご覧下さい。
まずは本業で利益を出すという名言を川鍋一朗は残しています。
日本交通株式会社は、タクシー事業で大きな負債を抱えていたにも拘らず、他の業態に手を出すことなくタクシー事業で勝負を仕掛けました。
本業で利益を出してから少しづつ他の業態にも進出して、現在は多くの利益を残しています。
これからビジネスを始めるのであれば、本業で利益を出すという考え方は重要だと言えるでしょう。
日本交通株式会社は大企業に成長しましたが、少し前までは倒産寸前の状態でした。
1900億円の負債を持っていただけでなく、従業員同士の雰囲気も悪く経営状態は完全に崩壊していたようです。
そのようなタイミングでマッキンゼーから日本交通株式会社へ入社した川鍋一朗は、ピンチにも拘らず人件費削減などによって変革をしていきました。
ピンチの状態になっている人も多いはずですが、変革の好機と捉えて何かしらの行動を取ることが重要だと言えるでしょう。
「愚直に取り組むことで運を引き寄せる」という名言を川鍋一朗が残しています。
川鍋一朗はタクシーの事業を愚直に取り組んだことで、少しづつ運を引き寄せて事業を立て直すことに成功しました。
愚直に取り組んで成果が出てから新しいことに挑戦するという考えは、経営を行っていく上で重要になるでしょう。
ビジネスは結果が全てだという名言は、川鍋一朗だけでなく非常に多くの経営者が残している言葉になります。
実際に川鍋一朗はビジネスで結果が出なければ意味がないと考えていて、その考えは従業員にも伝えているようです。
実際に従業員にも結果が全てと伝えることで、会社全体が結果を追い求めるようになっていきます。
これからも日本交通株式会社は新しい挑戦をするはずですが、常に結果を追い求めて成功していくと言えるでしょう。
経営者になるのであれば、ビジネスは結果が全てだという考えを持っておくことが大切です。
本記事では、日本交通株式会社の歴史や川鍋一朗の経歴について徹底解説しました。
日本交通株式会社は1900億円の負債を背負っていて、経営陣の撤退や倒産寸前の状態になるなど決して順風満帆に経営ができていたとは言えません。
しかしながら、社長の川鍋一朗がタクシー事業を諦めずに様々な経営戦略を取ったことで、現在ではタクシー業界で最も売上を作っている大企業に成長することができました。
これからはタクシー×ITに力を入れていくようで、顧客がさらにタクシーを身近に使えるようになる時代が来るはずです。
これからもタクシー業界を背負っていく日本交通株式会社と川鍋一朗の今後に注目していきましょう。